■2060年頃、ありふれた人生を終える恐怖
もうすぐ30歳。現在サラリーマン、そこそこの稼ぎ。
だがいま、辞表を書いている。
子供の頃から自分は何のために生まれてきたんだろうとかずっと考えてた変な奴だったが、
30歳を目前にして、再度同じ問いが脳裏から離れなくなった。
おそらくこのままだと、結婚して子供作って家のローン繰上げ返済がんばって
ちょっとは出世してすこし恰幅が良くなって子供もなんとか大学に入れて、
2040年ごろに退職して送別会でもらった青いバラの花束を抱えながら山手線に揺られて帰宅して
子供も就職したので、ちょいと旧式リニアでのんびり京都行ったりして妻とセカンドライフ楽しんで
年甲斐もなく妻に内緒で高級セクサロイド買ったりなんて冒険もして
下流層と違って抗加齢手術受けるだけの貯えは用意してたから死ぬ直前まで若々しく楽しんでて。
人生の流れはたぶんこんな感じだろう。2050年のありきたりな中流階級。
ちょっとは面白いかもしれん
でも、自分がありきたりな人生に落ちつくだろうと想像すると胸が苦しくなる。
そりゃ未来の子供もかわいいだろうし未来の奥さんとも仲良くしたいし仕事も面白いかもしれん。
だけど、自分はなんで生まれてきたの?ていう問いに真正面から向き合ってないのでは?と疑問をもってしまう。
自分はこんなことのために生まれてきたわけじゃない。そんな気がする。いや、常にそう頭に浮かんでくる
これは中ニ病?脳の病気?「自分探し系OL」病か?それとも「自分だけは特別」病か?
わからないけど、どうにも我慢できない。
You、宗教にでも入っちゃいなよ、とたまに考える。神様か仏様か大作様に悩みを引き受けてもらいなよ、と。
だけど身に付いた懐疑主義のせいで宗教にはまることができない。
物価の安い国に早期リタイヤして人生を楽しめ、これもたまに考える。だけど、それはあからさまな逃げだ。今よりひどい。
今のままではいけないことは直感で理解している。惰性に流され、日常に沈んでいくだけ。
別に貧しくてもいいから、できたらなにかに向き合ってから死にたい。解決策を考えたけど思い浮かばない。とりあえずボーナス後の辞表は確定。
妥協案をふたつ思いついたのだが、どうだろう?すくなくとも問題を回避したり先延ばししたりはできる。
◎資格を取る。
喰いっぱぐれのない資格で収入だけは確保しつつ自分の時間を作る。弁護士・会計士・医療関係?そんなところか。そんで大学の哲学科にでも入って勉強しなおす。創作活動に集中するとか?
◎我を忘れて仕事に打ち込む。問題を回避。
今の仕事は楽すぎ。生きるために必死になれるように、会社作って仕事に没頭。理想は「気付いたら死んでた」
この妥協案のどちらかを実行することになりそう。惰性に流され、日常に沈む恐怖よりは幾分マシだ。
誰か助けてくれ。 とりあえず外出て酒買ってくる。