2007年11月27日

1年半ほど前に、彼女が事故で亡くなった。 このエントリーを含むはてなブックマーク

1年半ほど前に、彼女が事故で亡くなった。

バイクでのスピードの出し過ぎが原因らしい。

ガードレールに突っ込んで、即死状態だったそうな。

しかもその時、一緒に乗っていた男性も亡くなった。

どうやら二股だったみたいです。


彼女のお母さんから電話をもらってすぐに病院に駆け付けたが

すでに白い布がかけられていた。

泣き崩れるお母さん。

状況がつかめない俺。



まさに地獄をみた瞬間だった。



それから毎日はどうしようもなく死にたいくらいの日だった。

ごはんもろくに食べずに体調も崩した。

精神的にも弱って、病院にも行った。

もうそのまま死んじゃえばいいのにとかも思った。

とにかく辛かった。



こんなこと書いてるけど、それからもう1年半経ちました。

決して忘れるわけじゃないけど、記憶は思い出に変わりつつあると思います。

でもやっぱり思い返すとつらいです。

当時は、思い出に変わることがすごく怖いと思っていました。

本当の意味で彼女がこの世から消えてしまうんじゃないかって。



これから俺はどう生きていけばいいんだろうな。

時々だけど、何かをする時気が咎めることがあります。

あ、もうあいつはこんなこともできないんだな。。。って

そんなときに蘇ってくる寂しさとか怖さと闘って生きています。

もうしばらく自分の中の戦争は続きそうです。

続きを読む
posted by tsukamoto at 04:28 | Comment(0) | TrackBack(0) |

2007年06月08日

朝起きたら このエントリーを含むはてなブックマーク

朝起きたら

母が死んでました。

自殺でした。

「救急車!」

という悲鳴を聞いて、電話をしました。ガタガタ震えるとかもなく、淡々と伝えている自分。

他人事だねと思うぐらい、落ち着いていました。

死因はわからなかったのですが、たぶん、自殺だろうとはわかってました。

あ??、間に合わなかったんだ。

それ以前からいろいろあり、どうにも止められないとはわかっていたのと、

やっぱり、気づいてやればよかったと思うのと、グルグルと考えが頭にいっぱいになり、

「だめだ。もう冷たくなっている」

と声を聞いたら、どっと涙があふれました。

「私が悪かったよ、ごめん、気がつかなかったよ。悪かったよ」

と謝罪の言葉が、口からこぼれてきましたが、

どうにもならなかった。ならないよ。もう、ならないってば。

どこからか、そんな声も聞こえました。

何年でしょうか。

この人、自分で死ぬかもなぁ。

という恐怖が、いつも頭の中のどこかにぶら下がっていました。

目の端の見えるか見えないかのところでで、ぶらん、ぶらんと揺れていました。

わかってはいたのですが、家族でなるべく見ないようにしていました。

クスリで抑えられてはいても、それは抑えているだけで、治りはしないのです。

治るためには、母をとりまく世界が変わるのか、母が変わるのか。

しかし、母は変わりたくはないのです。変わることももうできないのです。

年だから。

年寄りに変化を求めるのは、酷なことです。

遺書には、

「カタカナばかりでなにを話しているのか、わかりません」

とありました。

最近は、テレビだけが友人のような状態になっていましたが、

そのテレビでさえも、母にわかるような言葉を使ってはくれなかったようです。

ネットだ、ケータイだ、便利だ、楽だという話をしても、母は怖がっていました。

自動改札のせいで「電車にも乗れなくなった」と嘆いていました。

便利を求めて突き進む社会の先は、決して薔薇色ではないんだ。

ツールを使いこなせない、そのツールを理解するための言語がない人にとっては、

あらゆるものが自分の手の内から奪われて、

こういうのはなんですが、情報化社会の中でこその、絶望に突き落とされるのかと。

好きなところへ行ける金を持ち、暇もあり、健康な人でした。

でも、「好きに金を使っていいし、好きなことをしなさい」

と言われても、特になにをしようともしなかった。いや、できなかった。

「なにをしたらいいのか、なにを食べたらいいのか、なにを着たらいいのか、わからない」

とよく言っていました。

遺書を見て、母の絶望の深さがはじめてわかった気がします。

続きを読む
posted by tsukamoto at 04:02 | Comment(2) | TrackBack(0) |

2007年03月16日

女の子の自殺を知らされた件 このエントリーを含むはてなブックマーク

http://anond.hatelabo.jp/20070316104845
先日、以前友人だった女の子が自殺していたことを共通の友人から知らされた。彼女とはずっと連絡を取っていなくて、自殺は去年の夏のことらしい。
俺も30歳を過ぎているので、同年代の知人の死は初めてじゃない。小学生の時には同級生が無理心中でいなくなったのをリアルタイムで経験したし、高校の時の友人2人は大学に入ってから交通事故で一緒に死んだ。
でもそいつらと違うのは、彼女と俺がセックスしたことがあるという点だ。何回か成り行きでそういうアレがあって、でも結局それ以上の関係にはならなかった。お互いそのときはフリーだったのだが、状況から考えると俺が振られたと思ってもらっていい。その後は俺の転職とかもあって、連絡が途絶えてしまったというところだ。
なんだそのセンチメンタルと笑われるかもしれない。確かにそれもある。あー、一時であれ(ちんこ含めて)俺を受け入れたあの子は、もうこの世にいないんだなあと思うとしんみりする。なんで自殺したんだろうとかはあんまり考えないし、俺が何かできたんじゃないかなどという思い上がりは全くないが。
しかしそれより大きいのは、彼女と共有した経験をもう誰にも話せないということがすごく重い。共通の友人は誰も、たぶん俺と彼女の間にそんなことがあったのを知らない。今さら「実はこんなことがあったんだよね」などと喋る気もないし、そんな話聞いても誰も楽しくないだろう。
もちろん、彼女と連絡が途絶えた時点で、こんなことは分かっていたはずだ。しかし、改めて彼女の死を知らされると、動かしようのない事実として確定してしまったことに動揺してしまっている。そして、過去のワンノブゼムでしかなかったはずなのに、人間関係の中でやっぱりセックスというものを、どこか特別なものとして自分が捉えているらしいことにも驚いている。
posted by tsukamoto at 12:20 | Comment(0) | TrackBack(0) |

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。