2007年04月20日

俺こんな幸せ者だったんだな。 このエントリーを含むはてなブックマーク

鬱になって仕事を投げ出してメールも怖くて読めなくなっちゃった俺に、何度も復帰しようとして失敗した俺に、

ヘタレなことにあの程度の悲しみでみんなと同じ道をドロップアウトしてしまって話題を共有できない俺に、

なんでお前らはこんなに優しいの?

俺が口をきかなくなったことを全然責めないの?

なんで俺のためにわざわざ恋人とのデートをキャンセルして

俺の場を暗くすることしかできない様な愚痴を聞きにきてくれるの?

話を聞いてあげることしかできなくてごめんねなんて、声をかけてくれるの?

俺のために仕事をちょっとだけでも手伝ってくれるの?

また前と変わらずに遊びに誘ってくれるの?

俺のささやかでしかない努力を誉めてくれるの?

俺が家に帰りたくないって言ったときに、黙って合鍵を貸してくれるの?

俺がこっちから電話する元気もないって言ったら、毎日電話をかけてきてくれるの?

俺のことをそれだけ信じきってくれてるの?

うちの親でもそこまでしねーよ。

 

何だよお前ら。そろいもそろって善人だらけだな。しまいにゃ騙されるぞ。

そんな貧乏くじ引くような役回りはいつだって俺だけでいいって思ってたのに。

涙止まんないよ。ありがたすぎるよ。本当ありがとう。マジで心から。

迷惑かけたり心配させてごめんな、今本当大丈夫。もうちょっとしたら、なんとかなると思うから。

てゆーかなんとかするから。本当にみんなと友達になれてよかった。俺こんな幸せ者だったんだな。

なける

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posted by tsukamoto at 22:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | コミュニケーション

2007年04月12日

「誘う率」と「誘われる率」 このエントリーを含むはてなブックマーク

http://anond.hatelabo.jp/20070411145704

自分が非コミュかどうかはよくわからんけども、体験談つうか。

ある程度社交的になってる時期があってね。

「色んなタイプの人と機を逃さず知り合ってみよう」みたいなのを3年ぐらい自分に課して、いろいろやってた。

BBQとか、みんなで映画みようぜーとか。

ぱっと見にはすごく社交的な人になって、知り合いとか友達も増えた。

でもあれだ。「誘う率」:「誘われる率」でいうと、より小さい輪で生きてた時のほうが誘われる率高かった。

そんで、そもそも誘われる率が誘う率より高かったことなんて、多分一度もない。

社交タイム以前 7:3

社交タイム最中 9:1

社交タイム以後 6:4(現在)

ぐらいで、今ようやっと誘われる回数が以前よりちょこっとだけ増えたような。

自分が出不精になったのもあるし、こういうのって遅効性なのかなという気もする。

もうひとつ言うと、最中は、必ずしも楽しくなかった。

人の名前覚えるの苦手だし、なんかよくわからん奴も多いし。

でも、2%くらいの確率で気の合う人がたまにいて、そういう人とは今でもつきあいが続いてる。

結論でもなんでもないんだけど、「誘う率」:「誘われる率」とか、

その中で良い感じの人が(男女問わず)見つかる率については、

割と誰でもそういうもんなのではないかとなんとなく思えてきた。

仮に自分がすごく奇麗な女の子だとしたら、引っ張りだされる回数は増えるけども、その分寄ってくる有象無象の数も激増するわけだし。

posted by tsukamoto at 15:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | コミュニケーション

2007年04月01日

三月最後の日 このエントリーを含むはてなブックマーク

三月最後の日

思い出した話。

彼とは、たった一週間の関係だった。

関係といっても、道ですれ違うとき、広場で目が合ったとき、お互いにニコッとするだけの関係。

一週間目の最後の日、少しだけ話をした。

初めて話すのに、初めてじゃない。

そんなふうに感じた。

お互いの名前と国を教えあい、「Have a nice trip」とだけ言った。

そして握手をして別れた。

それが彼と交わしたたった一度の会話で、握手だった。

それから三年が過ぎた。

今では、彼の名前も国もすっかり忘れてしまった。

この先、彼に会うことは二度とないだろう。

でも、そこで彼と微笑みを返しあった一週間は、わたしにとって忘れがたいものとなっている。

しばらくは、それがなぜだか分からなかった。

最近になって、ようやく、なんとなく分かりだしたのは、その微笑みを交し合うだけの関係に本質的なものを感じているのだろう、ということである。

だから、うれしいとき、落ち込んだとき、自信をなくしたとき、ふとしたときに、その思い出を取り出しては、元気をもらい、救われたような気持ちになる。

そして、今日もそう。

だから、名前も知らない彼に向けて、感謝。

いや、それは思い出ではないのかもしれない。

今も、日本のこの場所にいるわたしと、世界のどこかにいる彼とは、つながっているのではないか。

あの場所、あの一週間を介して、つながっているのではないだろうか。

ふと、そんな感覚にとらわれた三月最後の日。

阪急電車から見る桜の花は、わけもなくきれいだった。

こういう話が好きです。

posted by tsukamoto at 02:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | コミュニケーション

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