2007年11月02日

学会の勧誘で心がすごくモヤモヤしてる このエントリーを含むはてなブックマーク

学会の勧誘で心がすごくモヤモヤしてる

もう、かれこれ10年近くです。

学会の勧誘がほんとうにしつこいんです。親戚がバリバリなもので。勧誘員は知らない人なんだけれども。

子供の頃は、そりゃ人の話をきちんと聞く素直な子だったから、他意もなく話しを聞いたりしていた。

信じる、信じないは別にして。

あんまり宗教的な話しはしないし(そもそも宗教と呼べるのか?)。

他人以上、友達未満的なコミュニケーションだったし。

世間で言われるような嫌悪感みたいなものは、その頃はなかった。


で、理性、というか事理を弁識する能力がそれなりに備わってきて、だんだん自分の考え方っていうものを持つようになる。

あー、自分は、やっぱり創価学会の考え方とか、価値観は合わないと思うし、池田さんを尊敬する気にもならないなぁ、と。


それで、きちんと断ろうと思った。

自分の考え、つまり「あなたたちの信仰する宗教に入信するつもりはないし、価値観が違う」

ということを伝えようと思ったんです。

親戚との関係もあるし、そりゃもう丁寧にね。

どういう部分が合わないと思うのか、客観的な資料や本を読んで、自分なりに勉強して、

その上できちんと伝えようと思ったわけです。

世の中は、「今ラーメン食べようと思うので、カレーは要りません」って言ったら、「ああそうなのね」ってなると思ってたから。


カレーを食べたくない理由をわざわざ説明するなんて、かなりフェアだと自分では思う。

確かに人によってはカレー好きかもしれない。それは認める。否定もしない。

言ったら、カレー好きな人々が集まって、めちゃめちゃ時間と金かけてカレー屋行って、

みんなでわーっとカレー食って、あまりの辛さにトランス状態になって幸せ物質が脳内に分泌されてるようなもんだろ宗教なんて。

違うの?違うか。


でも、自分は食いたくない。ラーメン食いたいし、むしろラーメンを信じてるし。

なんなら自分でラーメン作って悦に入っちゃうくらい、自分でラーメンのスキル磨いてるし。

こちとら就職も決まって自分のラーメン道を邁進してるわけですよ。カレー食う必要性感じねえんだよ。


でも全然聞いてくれない。毎週毎週、自分の意志をきちんと伝えても、何もなかったかのように来る。

リセットされてニコニコと玄関ピンポン。

もうね、カレーを口いっぱいに無理矢理突っ込んでくる。スプーンでぐりぐりえぐってくる。

なに?「道が拓ける」?「素晴らしい勝利の人生」?「あの芸能人も」?「ガンが治った」?

いや、それはこっちでやりますからお構いなく。


じゃあなに?カレー食わねー人は幸せになれないっていうのかい、アンタは?

聞くと、「そうです」って目ぇキラッキラさせる。

その上「カレー喰わないと地獄に落ちる」とか言ってくる始末。

「だから親戚に不幸が出るんだ」「あなたのお母さんが信心しないから仏罰です」

ってもう滅茶苦茶。通じない。一から十まで通じない。


おいおいおいおい。頼むよ。こっちは、本当に単に平和にラーメンを食って生きていきたいだけなんだよ。

どこまでカレーに心酔してんだよ。百歩譲ってそれは良くても、カレー食わないからって人の人格否定すんなよ。

その上家族まで貶めるってどんだけ傲慢なんだよ。あんたらのカレー神様、もとい大作さんはそんな教育してんのかよ。


もう、こっちがぐったりしてると今度は弟に手を出す始末。

あのね、弟はまだ高校生だから。ピュアだし、良い奴なんだよ。

受験でそりゃいま参ってるけど、それにつけ込んで可愛い弟まで勧誘するのやめてくれ。

勧誘するならヤツが成人してからにしてくれ。家族に隠れて携帯で呼び出して折伏すんのやめてくれ。

その上、気に病んだ母が体調崩したことをまた「仏罰」とか言うのやめてくれ。

「魔が入ったから…」とかいって何?カレー食わないだけで悪魔扱いかよ。


で、親戚のおばちゃん(カレー大好き)は心配っていう体裁とりながら「弱い人だから、お題目あげて祈ってあげましょう」

ってマジどんだけですか。うちの母ちゃん、主にアンタらのカレーが原因で体調悪いんだけど。

絵に描いたようなマッチポンプ。不幸を生んで幸せを願うって、どんだけエコなんだよ。

もうね、「全部わかってるから。私たちは寛大だから。でも敵とは断固戦い大勝利だから。人の幸せ願うから」っていう

そのスタンス。ハッとするスタンス。お願いだからやめてくれ。親族をかき回さないでくれ。こっちはルーじゃねえんだよ。


もうね、今となってはカレー大好きなおばちゃんも、昔はすげえいい人だった。好きだった。

親戚集まってみんな楽しかった。なのに何これ?

本当にカレー食って幸せになったのか、うちの一族は。

俺が大人になって色んなものが見えてきただけなの?



カレーなんて大っ嫌いだよ。

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2007年10月31日

付き合い始めた彼女が、神様を強く信じてると知って愕然。 このエントリーを含むはてなブックマーク

付き合い始めた彼女が、神様を強く信じてると知って愕然。どうも万能神のようでいまのところ変な宗教にハマっているわけではなさそう。

無神論者だけど生活ツールとしての神道と仏教は大事にしたい俺。

ためしに「神様は道端の石ころにも、消しゴムのカスにも、さっき鍋にして食べた大根の切れ端にもいる」とか言ったら怒られた。


これから先、適当にうまくやっていけるだろうか。

それとも突き詰めて話し合っておいた方がいいだろうか。

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2007年10月22日

宗教 このエントリーを含むはてなブックマーク

宗教

僕は創価学会の家に生まれて、大学に入るまでは自分も熱心に信仰していた。今は宗教活動はまったくしていないけれど、当時はそれはもう熱心だった。その熱心さを買われて、大学時代は、優秀な信仰者が集まる人材グループに選ばれることになった。

大学に入学したころは、自分がゲイであることにさんざん苦悩したあげく、ようやくそれを受け入れて前向きに生きていこうと考えるようになっていた時期でもあった。その悩みが晴れた喜びと決意は、信仰によって勝ち取ったものだった。人材グループでも尊敬する幹部にそのことを話したのだが、これがその後10年も尾をひくことになった。その幹部は同性愛を否定したのだった。宗教組織の中心にいたその人に同性愛を否定されて、自分自身をつくりあげてきた礎ががらがらと崩れ去ったのを感じた。自分がゲイであることは変えられないのに、それをあってはならないことのように言われ、海岸の水がひくように一気に宗教組織への信頼が遠のいていった。それから、宗教活動はしていない。

宗教をやめたきっかけは、自分に非のないものだったけれど、やめたことは大きな過ちだったのかもしれない。信仰心を失い、学会の書籍も学会関係の電話番号も、二度と見たくないとうちすててしまった。そこには人生を強く朗らかに生きていくための智慧もつまっていた。本を焼く国はいつか人も焼く、という焚書の教訓があるけれど、本を捨てる者はいつか精神も失ってしまうということだろうか。心のよりどころも、希望もない人は、ひとりで立つこともできない。それ以来、うつになったり、引きこもったり、対人恐怖症になったり、借金をこしらえたり、活力と本当の笑顔が極端に減った。人生の谷間を泳いだ20代。ずっとこのままでいるつもりなんかない。

宗教活動をしていないことを、親も親戚もなんとかしたいと思っているらしい。大学時代の友人も、かつて一緒に活動したのに今では落ちぶれてと、哀れんでくる。それが疎ましい。信仰心は大事だと思うが、宗教はやっぱり嫌だ。僕は間違っているのだろうか。

あれからもう何回振り返っただろう。僕の心にできあがったこの物語は、あれから10年経とうというのに、どうして強く頑なに自分を縛りつけるのだろう。勝手に作り上げた物語は、隙だらけで偏見に満ちていて、もっとましな別の解釈がいくらでもできるというのに。それでも10年前の感情を解き放とうとしなかった僕は、この物語をこういう形の呪文にしてしまった。自分ひとりの身に起こったことなのに、自分ひとりでは解き放てない。誰かにきいてほしい。ほんとは一部始終を隣できいてもらって、あのときの感情をわかってほしい。 ただ一言、大変だったねと理解してほしい。最後はひとりで乗り越えていくのだけれど、誰かに助けてもらえたら、ずっと楽になれる気がする。

そして、誰かの助けに答えられる人間になりたい。

posted by tsukamoto at 12:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教

2007年09月21日

仏教を知りたいのだが このエントリーを含むはてなブックマーク

仏教を知りたいのだが

何を読んだらいいのやら・・・

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posted by tsukamoto at 09:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教

2007年07月12日

日本人の多くは宗教を胡散臭く感じてるけど このエントリーを含むはてなブックマーク

日本人の多くは宗教を胡散臭く感じてる。聖書から読み取れるだけでも恐らく悪魔の数百倍は人を殺してるキリスト教の神なんて多くの人は信じていないし、そんな神を信じるという行為そのものに一種の愚かしさを見て取って、影に嘲笑する。

でも、そんな人間が、幽霊を信じる。超能力を信じる。宗教というラベルを剥がされた、ただそれだけのことで、その人の考える宗教の馬鹿馬鹿しさの、まさにその核心となるところを信じ込む。或いは、信じ込むところまでは行かなくても、ある一つの可能性として重きを置く。神なんて存在しないと明言したまさにその人間が、しかし霊の存在は信じ込んでいる。彼は、宗教というラベルに対し反応しているだけであって、宗教の持つ難点そのものについて反応しているわけではない。

でも、確かに彼は無宗教家だ。だから、彼は自己の信仰に気付かないし、気付こうともしない。彼は、それによって自己を見つめ、学ぶべき一冊の書物を開いたとしても、それを他者のものとして全然考慮せず、一笑し、そして退屈して静かに頁を閉じる。宗教というものが切実な問題として捉えられていない日本においては、彼は、その書物を場違いな一品と見做し、日本においてはごく僅かしか存在しない宗教家を指さして嘲笑うといった程度の価値をしか見出さない。本来、その書が非難している対象が、まさに自分自身であるということにさえ気付けない。

だから、日本人は、これほどまで宗教を信じない民族でありながらも、長く長く信心深い民族であり続けるだろう。鏡の中の自分を愚者と見做し続けるだろう。

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posted by tsukamoto at 23:07 | Comment(0) | TrackBack(1) | 宗教

2007年06月24日

仏教についていろいろ語って欲しい このエントリーを含むはてなブックマーク

仏教についていろいろ語って欲しい

単なる宗教と言うよりは、哲学的な臭いがするんだ。

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2007年06月22日

人が神を作った このエントリーを含むはてなブックマーク

人が神を作った

過去にエホバの子とプロテスタントの子と付き合った事がある。

僕は無宗教だけど趣味で老子や聖書を読むので宗教の話は色々盛り上がってた。

エホバの子は異様に教会という場所を恐れてるのが印象的だった。

暗い、十字架、偽りの天使やらなんやら。

一方プロテスタントの子は教会に依存気味な感じだった。

デートの最後は教会に行ってお祈り(僕はしない)とか、教会主催のボランティア活動とか。

双方に言えることは二人ともとても生き生きしてる。

人並みに悩みを抱えてるんだけど、聖書の一章節に救いを見つけ出してる。

それが正しいか間違いは宗教ではなく自分自身の選択によるものだから、そこから生まれる悩みなんかとも戦ってる感じ。

まるでカラマーゾフの兄弟の『大審問官』のような葛藤。

宗教的な理由で婚前セックスはできなかったんだが、それがない熱い恋愛もあるんだなあって。

僕自身の考え方は「人が神を作った」の一言、だから聖書も最古の書物として読むしどの宗教にも入らない。

彼女達はそれを理解してくれて、だからこそ僕みたいな男に興味を持ってくれたのだと思う。

宗教は否定しない、人は信じるものがあるからこそ強く生きていける。

人が集まることで生まれる孤独に耐えなければならない社会、宗教はその隙間を埋めるようなものだ。

信じるものは救われた気分になれる。

posted by tsukamoto at 01:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教

2007年06月21日

オレはエホバの証人 このエントリーを含むはてなブックマーク

オレはエホバの証人

お世辞にも敬虔な信者とは言えないけど、籍は置いてるからそう名乗っても間違いじゃないだろう。

協会(エホバの証人の法人組織、「ものみの塔聖書冊子協会」のこと。日本支部は神奈川県海老名市にある。)は繰り返しインターネットの利用に慎重にあるようにとの指示を出してるので、こんな所に書き込みしてる時点で不良信者であることが自明ですね。

で、そんな指示を与えられてるわけなので、この広大なネットには現役証人の割合ってのが低すぎるわけです。オレはこのブロゴスフィアってのが大好きで、色んな境遇にある人の色んな文章を読める状態ってのが素晴らしいと思うんだけど、だからこそネット上の現役人口が低いのがどうにも面白くない。本当はエホバの証人の日常を書いたブログが、たまーにはてブの注目エントリにでも入って、色んなコメントが付くのが健全だと思うのだけど。

といっても、匿名ダイアリーに書いてることからも分かるとおり、普段書いてるダイアリーとかでは自分がエホバの証人であることは明かしてない。自分のIDにエホバの証人という属性を付与するのが、まあ、怖いというか。数年はてなやっててそれなりに気に入ってるもんでね、今のIDのキャラ。もしもまかり間違って匿名ダイアリーの書き込みIDが見える事故なんかが起きたら、それはそれで受け入れるしかないか、ぐらいの覚悟はしていますけど。

で、なんでこんなことをつらつら書く気になったかというと、まあきっかけははてブの注目のニュースに入ってたこれ。

あとこのニュースのブックマークコメントで紹介されてた幾つかの記事も。

まああくまできっかけであるので、それらについて具体的に語ることはしませんが。(聞かれたら応えられる範囲で応えます。即レスは無理かもしれないですが)

さて、今現在オレはエホバの証人であることをどう感じているか。実はあまり深い感情はない。週3回の集会や、月に数回の野外奉仕(つまりは宣教活動のことです)は、母親が聖書研究し始めた小学校の頃からの習慣なので、あまり大変とも感じない。仕事で残業が必要になった時とかは躊躇なく休むし、なかなかあえない友達に会うとかのときは遊びでも、そっちを優先する。この通りネット大好きなので、エホバの証人の信条を否定する情報にも触れてるし、もちろんその中には的外れだなあと思う批判ももちろんある。こんな風にやってると、エホバの証人の信条は絶対的なものではなくなる。じゃあなんでエホ証続けてんの? ってことになると思う。

じつはそれは、オレにとってエホバの証人の信条が「絶対的なものではない」からだ。

うちの家族は両親ともにエホ証で、妹もエホ証。ちなみに母と妹は正規開拓者(野外奉仕に月70時間費やすと宣言してる人のこと)。いわゆる神権家族ってやつだ。父が証人になったのは、先に学んでいた母の証言によるのだが、実はその前、父は消費者金融から借金をしていた。詳しい金額は知らないのだが数百万は間違いなくてもしかしたら一千万越えてたのかもしれない。それが元で夫婦仲は良くなく、母はオレや妹に離婚をほのめかすこともあった。まあそれから色々あって家を手放したりしつつも借金はなくなり今は親もオレもアパート暮らしだが、家族仲は良好だ(母親の一番の悩みはオレが信仰に熱心じゃないことなんだろうけどね)。今の状況は、決して裕福ではないにしろ、昔と比べたら間違いなくいいものだと思うし、それをもたらしたのは間違いなくエホバの証人とその教えなんだ。それだけではないけど、影響は大きかった。

つまり、オレにとってエホバの証人という存在は、けして悪いものじゃない。けれどネットの情報に触れて、それは絶対的なものじゃなくなった。ならば、オレはエホバの証人を捨てるべきなのか。エホバの証人はカルトだ、だから抜けろ。そう短絡的に言われても、エホバの証人の信条が完璧だなんてオレだって思ってないよ、でもオレにとって、間違いなくいい影響をもたらしてくれたんだ。だったら、それは他の道を選ぶのと何が違うんだ? 仕事に生きても、恋愛に生きてもオタク趣味に生きても、楽しいこともあれば虚しいこともあるなんてのは当たり前じゃないか。だったらそのどれを選ぶのも同じじゃないのか?

取り留めなくなってしまったけど。投稿。読んでくれた方はありがとう。

追伸。こないだ映画『300』見てきました。腕チョンパ、首チョンパ盛りだくさんだったけどすげえ面白かったです。かっこよかったです。あとオナニーも好きです、気持ちいいです。

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posted by tsukamoto at 09:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教

2007年05月21日

無宗教国家日本の駄目な所 このエントリーを含むはてなブックマーク

無宗教国家日本の駄目な所

まるちゃんじゃないんだけどさ、愛って恋だけじゃないんだよね。

でも無宗教国家日本じゃ愛は恋しかなくて、恋愛至上主義になっちゃうんじゃないかな?

宗教ってもっと軽い物なんだけどな。恋みたいな物だよ。

そりゃ、盲目になったり嫉妬したりする事もあるだろうけどさ、基本は愛なんだよ。


そのためにはまず出会いだよね。

家に籠ってないでちょっと出かけてみようよ。

夏に向かってすてきな出会いを見つけてみようよ。

もっと気楽に、素直に。ちょっとお寺とか教会覗いてみようよ。

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posted by tsukamoto at 01:41 | Comment(0) | TrackBack(2) | 宗教

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